ハワイのアフプアアとは!?
オアフ島の幹線道路沿いに茶色に白抜きの岩の絵と文字でAHUPUAʻAと描かれた標識を見かけた方もいると思います。アラモアナ大通り、ピイコイ通りでも見ることが出来ます。これはその地域のアフプアアの境界線を示すものです。アフプアアの概念は日本の里山に近く、昔ハワイアンの人々が共同生活を営んでいた一つの地域や土地区画を指すハワイ語で、アフは祭壇、プアアは豚を意味します。ハワイではその昔、土地の境界に石を積み上げて祭壇を作り、その上に豚の頭を象った木像を置きました。
アフプアアはアリイ(首長)が税を徴収(物納)する地域の単位でもあり、切り立った山の山頂から海辺に達する平地までの地域全体を指します。たいていは山の峰と谷が境界になっています。
切り立った山から滝となって流れ落ちる水が川となり、その水が農地を潤し作物を育て、支流からの水が引かれたロイ(loʻi)と呼ばれる水田ではタロ芋が栽培され、その周辺では果樹が実っていました。
川の水が流れ込む海岸の浅瀬では石を積み、そこに養殖池(loko iʻa)を作り、潮の干潮差を利用して堰の開閉により、海から流れ込む小魚を育てたり、海水と淡水のバランスを調整したりしていました。村の漁師はカヌーでサンゴ礁の外へ出漁し、家畜の骨を削って作った釣り針などで魚や鮫を捕獲したりしていました。山の幸と海の幸はこの地域内で均等に配分され、一つのアフプアア内で人々の生活が完結して営まれました。
カネオヘにある養殖池(loko iʻa)
ハワイの人口の大半はマカアイナナと呼ばれる平民層に属していました。平民はアフプアアと呼ばれる土地を基礎とするコミュニティに所属し、農業・漁業に従事し、そこから収穫した農作物・漁獲物をそのコミュニティの首長等に貢納していました。平民は土地を所有することはなく、政治的発言権もありませんでした。
© Hawaiian Studies Institute, Kamehameha Schools, 1987
各アフプアア区画内の居住人数等(100人から200人)は、一定の共通性・類似性がある一方、全てのアフプアアには、個別の地理的・地質的特性がありました。アフプアアに居住し、各種の活動を行っていたのは、平民であるマカアイナナである一方で、上級首長であるアリイ・アイモクは、複数のアフプアアをまとめた政治的領域を管理し、下級首長であるアリイは、アリイ・アイモクの代理として、アフプアアの直接的な管理や住民から徴税などを行なっていました。アフプアアは、経済的な領域であり、首長の政治的な権力行使の対象でもありました。
© Board of Water Supply, City and County of Honolulu
オアフ島をドライブしていると多くの住宅地が山間の谷間に多いことに気づかれるかと思いますが、それは過去のアフプアアの流れで開拓されたことに関係性があります。次回オアフ島を訪れる際にはアフプアアの歴史に思いを馳せて巡られてみてはいかがでしょうか。
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